お葬式も携帯で写真を撮る

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1715780/detail?rd
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葬儀でも死者の顔を携帯のカメラで撮るようになってきているようである.葬儀社の人が,「月に一度は見ます」とのコメントをしており,「中高生はとっていいの?という感じだが,30〜40代では当たり前のようにとる」とのこと.
「臓器移植が一般化し、遺体が神聖不可侵なものとの考えが薄くなったのでは」という理解する向きのコメントもあった.


私の葬儀に対する考え方は,古いといわれようとも,「遺体は神聖なものである」である.私のよりどころの一つとしてある,神道や仏教では,魂を重んじており,肉体はあくまでも仮の宿であるとしている.しかし,その仮に宿した肉体は,魂が神になり,あるいは仏のもとへ召されて後,邪悪なものに利用されぬように神聖なものとして,道に則った方法で埋葬されるべきだろう.


2月最初になくなった祖父の葬儀について書いたとき,「機械的だった」と述べた.道に遵ってはいるが,「いついつにこうしてああして」とお決まりの上を歩いているようであった.大人になったのと,祖父が死してもなお入院中の様子と大差なかったせいかもしれない.私が小学生のときに亡くなったもう片方の祖父の葬儀では,ただ単純に死者というものが怖かった.顔を見たが,あまり見ていたいとは思わなかった.


では,死者の写真をとることは,道に則っているのかどうか?私は,Noだと思う.もちろん,神道や仏法,さらにはキリスト教イスラム教でもそのような道は説いていないだろう.しかし,神聖なものに対する考え方を見れば,Noだろう.どの宗教でも,その偶像(本尊)や本殿内の撮影を手放しで許可していないことを考えれば当然である.道の面からNoとしたが,モラルの面でもNoだろう.死者が己の死顔を撮ってほしいかどうか考えてみればいい.私はいやである.己がもう去った仮の宿とはいえ,己のあずかり知らぬところで,それも気色のなくなったものをとられ残されるのはいやである.だいたい,その撮った写真をどう使うのか?度々見るのか?


記事にもあったが,30〜40代の人が抵抗なくとっているらしい.
30〜40代の人のモラルが低下しているのではと感じられる.その子供たちである中高生のモラルの低下が叫ばれ,社会が悪しきもののように言われているが,むしろその親たちのモラルが問題だろう.先般,小学校では「給食での食事前のいただきますはいらない.それに対する対価は払っているのだから」とか,「はしは危険なので給食では使わせるな」といった保護者の意見が出ているという記事が掲載され,話題になった.そんな30〜40代が問題だろう.


中高生のモラルの問題は,30〜40代の親の問題.ではその親はどうか?50〜60代になるか.時代背景を考えてみる.戦後の動乱期,窮乏期を幼少期に見て,大人になり高度成長期になった人々に当たる.つまり,モラルよりも生活ができるかどうかを体感してきた世代になるだろう.とりあえず,金を稼げ,そしてそれでいいものを食べいいところに住みたいなんてことを考え,それを実現できるようになりつつあった時代である.働けば働くほど金が入り,生活が楽になる.つまり,しつけが疎かになってしまった時代かもしれない.


しかし,今は生活にも多少余裕のある時代.もちろん,そんな家庭ばかりではないだろうが...今こそ,モラルって何だ?ってことを真剣に論じ,後の世代にきちんと残しておくことが大切だと思う.親にできないモラルの教育,その結果中高生はわからない,しらない.そのせいで,中高生が悪しく言われる.それはかわいそうではある.親にできないなら,地域や社会で教えていくしかないが,今ではそれも難しい.しかし,しなければ!今の中高生が親となりその子供たちはどうなるのかと考えれば,子供,孫が可愛いなら変えていくしかあるまい.