最後(最期?)のお勤め

物騒なタイトルではあるが,別に会社をやめたわけではない.今の職場・品川を去り,新しく横浜で働くことになったためである.会社の方針で,モノを作っている現場に行ってモノつくりを体験することで,自分の仕事の意義や役割を理解させようという研修である.実際は,10月くらいから行くものであるが,私の場合,案件に入っていたので,ドクターストップならぬ部長&課長ストップが入っていて4月からとなった.予定では,期間は半年である.行く前の課長の説明で,だいぶフォローされた.どうも私がかなり不安に思っていると思われて,気を使ってくださっているようであった.しかし,実際には,あまり場所が変わるという実感もないし,あまり不安がない.「わかりました.行きます」とそんな気分です.しかし,大変ありがたいことである.

もうひとつ言われたことは,「半年たって,帰るなと言われるくらいにやってこい.帰ってこなくていいから,こっちに仕事ないかもしれないしな(笑)」と半分冗談で言われた.与えられた場所で,全力を尽くすのみです.

今,「高橋是清自伝」を読んでいるが,そこに私の思いと近い文言があったので引用する.

高橋是清が様々な事業に失敗してどん底にあったときに,救おうとしてくれる日銀総裁川田小一郎にいった言葉〜
かつて米国のヴァンダービルドという人が,生前その子孫にいい聞かした言葉の中に,実業界に這入って働いている間に人の援助及び助言を要する場合が起こった時にはいかなる声名の高い人でも失敗した人を相手にするな,仮令それほど著名でなくとも何かに成功している人の助言を聴き,また援助を求むるがよいということがあります.貴方は故岩崎弥太郎氏と共に海運事業についていろいろと苦心をなされ,今日の成功を得られたのであります.その貴方からお世話を受けることは私に取ってまたとなき幸いで,私は悦んで一身をお任せ致します.
高橋是清自伝(下)」(中央公論社刊)より