東福寺,新日吉神宮,豊国廟,豊国神社

東福寺

今日は夕方から天気が崩れるということだが,かなりいい天気だったので,のそのそと遊びに出る.今日は,ずっと行けていなかった東福寺へ向かう.


東福寺臨済宗のお寺.九条家が建立した.周りには九条通東大路通の車,京阪などのやかましい音が響き渡っているが,境内に入ると車の音はほとんど聞こえず,列車の音も遠くに聞こえる.東山に接しているので山手の鳥の声なども聞こえなんとも気持ちいい.この寺には少し谷になっているところがあり,そこに3つの橋が架かっている.臥雲橋,通天橋,偃月橋という.通天橋は,紅葉の名所として非常に有名である.それをわたると開山堂などがある.この通天橋は有料だが,それ以外の2つは無料でわたれ,臥雲橋は日々の生活に利用されている.下校途中の小学生や高校生がこの橋や塔頭の白壁や石垣の間を歩いている姿は,不思議である.異なる時代を連想させるものが同じ空間にあることの違和感である.こういったところを通学できるのがうらやましい.


通天橋は先ほども述べたように有名で,時代劇のロケなどによく利用されている.しかし,その橋を支える部分は木造ではなくコンクリートにされてしまっている.観光客の重みに耐えかねるということでそういうことにされたのだろうが,なんとも悲しい.やはり木造で清水寺のような懸造が残っていてほしい.昔のものを一部現代の工法で直すというのは,冒涜しているようであり調和しておらずよくないと思う.


実は,東福寺へ向う途中の塔頭で工事をしていて白塗りの壁を作っていた.その様子をみてしまった.なんと,コンクリートのブロックを積み上げそれにコンクリートを塗っていた.おそらくその表面に漆喰に見せかけたものを塗るか,薄く漆喰を塗るのであろう.できてしまえば表面だけしか見えないとはいえ,なんとも悲しい現実.昔ながらの,竹を組み土壁を塗り,そして漆喰を塗り重ねるという工法を取れば時間と資金がたくさんかかるは分かる.とはいうものの,こういった歴史ある寺には昔ながらの工法できちんと作られたものを後世に残してほしい.


ここには日本最古の現存するトイレ「東司」や日本最大の三門などがあり楽しめた.


東福寺を去り北上して,新日吉神宮,豊国廟へ.ここらは,京女の集まるストリートで,警備員に胡散臭く見られていたのではないか不安.時間的にはすでに下校時間を回っていたので女子高生などもまばらだったので,居たたまれない気持ちにならずにいける.


豊国廟は,ずばり大変でした!階段に続く階段...しんどすぎる.本当に山の中に入っていくし,人いないし.降りてきて国立博物館の北側にある豊国神社へ.その隣には今はない大仏と「国家安康,君臣豊楽」の言葉で有名な梵鐘のある方広寺跡.観光できた様子のおじさんに「方広寺ってここらですか?」と聞かれたので,「そうですよ.これが,家康が難癖つけた鐘です.ほら,あそこの白で囲んであるところです.」と説明しておく.「これだけか.案内板なくてわかりにくいねぇ」といっておられる.確かに分かりにくいですね.まぁ知っていると寧ろこの方が観光地化していなくていいですけどね.


「家康を呪い,豊臣氏の繁栄を願う」ために鐘を作ったと豊臣氏を責め,結局大阪冬・夏の陣で豊臣氏を滅亡させた家康ですが,それを本気で考えていなかったことは鐘が今も残っていることで一目瞭然ですね.日本史の教科書でも出てくるほど有名なこの文化物が,普通にぶら下がっていて誰でもすぐに見れる.ここは,そういう数少ない場所ではないだろうか.


豊国神社でお参りをすると,丁度閉門時間で私のお参りが終わるまで閉門を待て下さる.ありがとうございます.さらに写真を撮っていると,「撮ってあげようか?」とおじいさんが声をかけてくれる.こちらもありがたいことです.東福寺でも寺務所の人が丁寧に説明してくださったし,人のやさしさに触れられた一日でした.