「正しく生きるとはどういうことか」,池田清彦,新潮社

正しく生きるとはどういうことか (新潮文庫)
たとえば,目の前に自転車で通りかかった人がいるとする.その荷台から荷物が落ち,散乱したとしよう.私なら拾ってあげようと思う.みなさんはどうだろうか?おそらく大体の人が拾ってあげようと思うだろう.そのときに,相手が「ありがとう」と言ってくれると思うかもしれない.言ってくれることを求めてはいないだろうが,言われて気持ちがよくない人はいないだろうし,おそらく気持ちよく思うだろう.

では,逆に,拾ってあげたときに,「何をするんだ.邪魔をするな,やめろ」と言われたらどう思うか.まぁ大体の人は「折角拾ってやったのに!」と怒りをもつだろう.あるいは,「なんて人だ」って思いながら,「すいません」ともう関わらないようにするかもしれない.ただ,これらの考え方は間違っていると池田氏は説く.つまり,拾おうとするのはあなたの恣意的な行動で,権利ではある.しかし,お礼を言われる権利はないというのだ.


相手にとって,「助けてもらってありがたい」と思う権利もあるし,「自分でできることは自分でする」と考える権利もある.それを私たちは変えさせる権利はないし,ましてやそれを強制して,本人が考えを変える義務もないという.これは,この本にずっと流れる考え方である.あくまでも自分で恣意的な行動をとる権利を誰もが持つ.そしてそれを強制する権利はない.ただし,それはお互いに守られる権利である.


たとえば,人殺しをする権利はあるという.ただし,自分が殺されてもいいと考えておく必要がある.だって,別の人が自分を殺す権利もあるのだから.ただし,ただ,殺される人は,殺されたいという恣意的な権利を行使したいと思わない(中にはいるかもしれないが・・・).その結果,その自由を奪うくらいの法律の縛りは必要だと説く.つまり,お互いの恣意的な権利を奪ってしまう行為を規制するほどの法律は必要だという.だから,そうではない法律,たとえば,国旗を揚げることを強制するとか,タバコ・酒を未成年がたしなんではいけない,医師免許が必要というような法律は無意味だと言う.


やや極論といおうか,現実的ではない考えが貫かれている.同意できるものもあるが,道徳的な考えを否定している点はあまりよくなかった.神の存在を信じるも信じないもその人の権利だと言うが,自分の力が及ばない大きな力を紙として感じるくらいの道徳心はあってもいいのではないかと思った.そのように考えることも私の恣意的な権利であり,人にそのようになれという権利は私にはないのだろうけれど・・・